タイムカプセル

ツインソウルという概念に出会いました。情報量が多く混乱してきたのでまとめてみたいと思います。

2017年

ツイン?を知った5年前、2017年が気になっていました。


2017年を終えて・・


以前、「2017年に会えなかったら気持ちを切り替えたい」と書きました。
ツインソウルの概念を知るまでは
ツイン?を自分に似た人かな?と考えていましたが
この数年の間で、ツイン?よりも自分に似た人を数人見つけ
思いのほか自然と気持ちが切り替わっていきました。


ツインソウルの概念を知る前の考え方に戻ったとか
自分に似た人を見つけたことによりツイン?の影が薄くなった
こんな風に表現したら分かりやすいかな。


そして、私は興味があることを実践して知ることが好きなので
分析したり掘り下げて考えた結果でもあります。


これで答えを出すのは早いかもしれませんが
私が見つけた人はツインソウルではなかった
と、少なくてもツインソウルだと思えないというのが答えです。
その瞬間を共に生きた人。


答えを出すのは早いかもというのは、本当に知ることができるのは
ここから旅立つときだと考えているからです。
でも、旅立ったら伝えられないので、いま出ている答えという意味です。


それに加え、私は心のどこかで唯一無二の人を求める一方で
子供のころに絵本で読むような王子様や運命の相手みたいな人が
誰かには存在するのだろうけれど私に存在するとは思えない(私は孤独な人生である)
と感じているので、私にツインソウルが存在することも考えられず
私が出会った人がツインソウルだと思えないという結論になるのは
当たり前の答えという感じがします。


あとは、「ツインソウルからソウルメイトへ」と「仲間」の記事で
出した答えを理解してもらえると思います。


2017年は、ツインソウルとは関係なく、例年に比べて大変な年でした。
それと同時に、多くのことを経験して、また少し学ぶことができました。
まだまだ迷うことばかりで至らない人間性ではありますが
仲間を見つけ優しさを広げられるように生きたい。
優しさには、厳しさや線引きも必要だと思っているので
そのバランスを会得することが今後の目標かな。


未だにツインソウルの概念は好きです。
それでも御伽噺ではなく現実を生きたいので
一縷の楽しみは残しておきつつ、これからも多くを学べたらなぁ
と思っています。


ツインソウルに出会っても出会わなくても

愛する人と一緒に生きることができてもできなくても

持って生まれた心を思い出し目指して欲しい



いつかどこか現実で、お互いの優しさで触れ合うことができると信じて・・。

仲間

ツインソウルの概念を知ってから使命について考えていました。
少なくとも私には、何の能力もありません。
HSPのようなので生きづらさみたいなものがあるし
これといった得意分野もなく・・。


今こうしてツインソウルを御伽噺と思うくらいになって
改めて使命は特にないと考えるようになりました。


子供のころから「当たり前」と思う生き方をするだけかな。
それが優しさを広げ、大きな使命がある人に繋がるような気がしています。


優しさを広げるには、小さな力でも必要だと考えます。
その力は弱いから、同じ想いで繋げるしかないことを
理解できる人に知ってもらえたら・・と。


完璧な人は、いないと断言はしませんが、いないと私は思う。
誰にでもある欠点や苦手なことを、お互いに補い合い
生まれ持った悪い性質は、抗う努力をする。


それが私が子供のころから思う「当たり前」。
きっと、それぞれの心に、何かしら持って生まれたものがあると思うので
それらを探すこと、思想を重ねること、生きること・・
行き過ぎた探求などをせず、極端な選択をせず、ただ優しさを広げ生きること。


口で言うのは簡単ですが、これが本当に難しいと思っています。
理想には届かなくても、そこに近付けたなら、しあわせだと思う。

ツインソウルからソウルメイトへ

ツインソウルの概念については
もう、1割ほど「あったらいいなぁ」と
御伽噺くらいに考えるほどになりました。


他の人のことは分かりませんが
私は、唯一無二の人に出会いたいと
心のどこかで願っているような気がします。
たぶん、寂しいとか心細いとか、生きていく不安を
唯一無二(=ツインソウル)に求めているのかもしれません。


でも、ツインソウルの概念を知り、考えたり感じたりした中で
ツインソウルという言葉で縛るのは、一番してはいけないことだと感じます。


※人それぞれ生き方があるので、あくまでも私の考え方です


そう考えると、ツインソウルではなく
ツイン?をソウルメイトと考える方が自然ではないでしょうか。


ツインソウルが何をしていようが
いわゆるランナーやチェイサーと言った状態でも
ツインソウルではなくソウルメイトだと
唯一無二の人ではなく、多数のソウルメイトの一人だと考えれば
全ての人は自由であると認められるのでは?


それは巡って、ツインソウルの概念の有無に関係なく
人と人のしあわせに繋がるのでは?・・全てが穏やかに。


ツインソウルの概念に「愛」ということがよく書かれていますが
それなら尚更、ツインソウルではなくソウルメイトと考えた方が
もっと広い愛に辿りつけるはず。
それがツインソウルの概念(理想)に近い形のような気がします。


袖振り合うも多生の縁

人との縁はすべて単なる偶然ではなく、深い因縁によって起こるものだから、どんな出会いも大切にしなければならないという仏教的な教えに基づく。

「多生」とは、六道を輪廻して何度も生まれ変わるという意味。

「多生の縁」は、前世で結ばれた因縁のこと。

「袖振り合うも他生の縁」とも書く。

「袖擦り合う(擦れ合う・触れ合う)のも多生の縁」ともいう。

とも言いますね。


共に生きるのもいいし、拘らずにソウルメイトと優しさを広げるのもいいこと。
時に心細くなることがあっても、それを選択するのなら、それが正しいと思う。
誰のせいでもなく、私の選択・・と認めること。


この数年の間に、ツイン?よりも自分に似た人を数人見つけたからかもしれません。
私に似ているけれど私よりも素晴らしいと感じる人。
私に似ているけれど私よりも粗末な人間性の人。
どちらも一歩間違えれば私や彼・彼女になる可能性がある。
ただ羨ましく思うのでも、ただ軽蔑するのでもなく
一歩違った私として観察し、何かを感じることが大切だと思っています。