タイムカプセル

ツインソウルという概念に出会いました。情報量が多く混乱してきたのでまとめてみたいと思います。

思想

私が考える思想とは、例えば、正しい選択をするための基礎だったり、平等の線引きだったり、その他の理論だったり・・一言では難しいのですが、それぞれの判断をブレなくする、個人が信じるものだと考えています。


こうして書くのは簡単ですが、これが本当に好きだけど困難で、頭もよくなく、家族に恵まれず、誰とも出会えていない私は、長いこと独りで考えてきたのですが、この歩みが鈍いのです。


一つ気付くと、その矛盾が出てきて、それを一つ一つ片付けたり行詰まったりする。
そして、その先で、また矛盾が増えて、片付いたと思ったのに、また矛盾が増える・・。


それを数十年も続けていたら、少しずつ思想が固まってきて、たぶん到達はできないだろうけれど、近ごろは、果てしないと思えるほどに増えたものが片付き始めている気配を感じています。
歩みが鈍いので、生きている間に何処まで理解できるかは謎ですが、趣味や人生のようになっているので、出来る限り増やしながら片づけ、積み重ねたいと思っています。


もしも同じような人がいたら、出会えなくても嬉しいし、お互いに頑張ろう!と言いたくて・・。
それでは、良いお年を。

理想と実践

世の中には多くの人がいて、それぞれ違う性質(心や考え方)があって、それが今では、SNSの登場により可視化され、慣れ、理解し合えるようになってきました。
自己申告の世界だから嘘や争いもあるけれど、これから徐々に、SNSが無い時代よりは速く、世の中が変わっていくと思います。


人には、本能や進化・成長過程で身についたと言われる部分があって、そこを知り、他人の不完全さも許すことを、認識して行える生物が人で、もしも生きる意味があるのなら、進化し続けること・伝え繋ぐことなのだろうと個人的に思います。
それぞれが考えて、持って生まれたものを活かし形にする・・これが自然と折り重なる世界が人間の到達点ような気がしますが、難しく矛盾だらけで、それだと嫌な人もいます。
この可否については、考え方や感じ方の違いなので、話し合いなどで解決できることではありません。


ただ、そうしたいと願う理想があるのなら、理想ではなく現実として、パートナー・家族・友人・職場・地域・・と小さい単位から始め、歯抜け状態であっても広げていくしかないと思います。
まずは自分から、他人を批判するのではなく、もちろん暴力ではなく、実践すること。


自分の能力の範囲で知る・・思想を積み重ね実践する。
間違いは直ぐに正し、また実践し、思想を積み重ねる。


そこで大切なのは、境界線を知ることで、踏み入れてはいけない線や引き返す線を知ることです。


そうして、未来の多くの人は、他人を批判せず、その代わりに、問題解決の議論をする。


感情を無くすのではなく、無駄な傷つけ合いを避けるために省き、より住み分けができるようになると想像します。

待ち、進む

若いころから地味なせいか「何が楽しくて生きてるの?」と聞かれることがありますが、楽しむために生きているわけではないし、とにかく多くの事が大変で、いつも溺れているような気持ちでいます。
持って生まれたもの」にも通じますが、手に入れられるものも人により違うと思っていて、手に入らないもの・余すものなら端から手に入れないのが私の考え方かな。
でも、それなりの家に住み、栄養がある食事を摂れ、趣味の時間もあるので、派手に遊んだり声が大きい人の楽しむとは少し違うかもしれませんが、私としては恵まれた生活をそれなりに生きています。


もう少し考えてみると、母は、私にお金を使いたくない人で、バイトができる年齢になると、土日と春・夏・冬休みはバイトをして、不測の時に泣かずに済むようにしていたので、地味なのは生まれつきですが、金銭感覚がこうして付いたのなら、反面教師の母は有難い存在です。
これも「持って生まれたもの」で、バイトの時間を勉強や青春に使える人もいるし、苦労せずに金銭感覚を身につけている人もいるので、不運に感じる時は、他人と比べずに自分だけを見ることにしています。
不運と感じることを自分の中で自分と比べて消化するというのかな。


映画のセリフで

しあわせになるのは簡単。失ったものを追わず、手の中にあるものを愛せばいい。

とあるのですが、本当にそのとおりだと思います。
必要最低限のものは、努力していれば手に入る・・と言うのは、必要最低限のものを手に入れている私の感想ですが、それすら手に入らない人・それがゴミに見える人もいると思います。
どの状態の良し悪しではなくて、それらも自分と相談して、私の場合は、多くを手に入れられない傾向にあるので、手や心の中にあるもので何とか終わりまで繋げようと考えています。


ただ、それと同時に、心のどこかで奇跡を待つことにしています。
奇跡は奇跡なので起こる確率が低いけれど、心に希望があるのは、いいことだと思うのです。