タイムカプセル

ツインソウルという概念に出会いました。情報量が多く混乱してきたのでまとめてみたいと思います。

役割


以前「私に使命は特にない」と書きましたが、「パイドン」を読み、私にも役割はあるかも?と考えるようになりました。


「パイドン」では、人をこう分類します。

・善良な人

・善良ではない人

・哲学する人

私はどこに入るかな?と考えると、善良でも悪人でもないし哲学もしません。


そこで、何度か「持って生まれたもの」などに書いてきた人生の傾向を考えると、役割は「割を食う人」になる気がしました。
使命と考えると何か美しい役割を思い浮かべますが、対が存在する世界と考えたら美しくない役割もあるはず・・嫌ですね。


ツインソウルの概念では魂それぞれに個性があるように書かれていましたが、「パイドン」には魂は等しいと書かれています。

そう考えると「持って生まれたもの」から「役割」を知り、「役割」と「(魂や精神が)目指す場所」のバランスを取って、特に嫌な役回りの人は今生に腐らず闇落ちせず何とかやり過ごす努力が必要かもしれません。
個人的には役割を果たす果たさないの選択ができると考えていますが、私の場合は逃れる術を持っていないため目指す場所を見つつ嫌々ながら役割を受け入れようと思います。
この場合「役割」と「目指す場所」があまりにも乖離していると苦しむことになるので、こちらも「持って生まれたもの」によって越えられない線を知ることだと思います。


ただ、今生を楽しみたい人には、この考え方は関係ないかもしれません。
今生を楽しみたい人は楽しんだ方がいいと思うし、人生は「十善戒」などからはみ出さない限り自由だと私は考えています。

パイドン

そろそろ知識の手を借りよう!と、今年は読書を頑張っています。


以前、自己啓発本1冊と哲学本2冊を20ページも読まずに捨てたので、これらは避けて、心理学入門から読み始めたのですが・・すぐにプラトンに興味を持ち「パイドン」を読んで、結局、心理学は1冊しか読まず、哲学本を数冊読む方向転換になりました。
哲学本は、以前捨てた2冊と違い面白くて、特に「パイドン」は私の思想に重なる(プラトンは2400年前の大先輩です)部分もあり、考え方が広がったように思います。


プラトンは、肉体(体・心)と魂は別物と言いますが、私はこれまで資質(体・心)と本質(精神)は別物だと考えてきました。
プラトンの魂と私の精神は、同じではないかもしれませんが、それは大同小異で同じだとしたら、プラトンの肉体と魂は別物という考え方は、私が考えている一つです。


今回、プラトンのイデアについての思想を知り、宇宙の存在意義を、もしも宇宙はイデア(観念)を実在として表すためだとしたら・・と、ちょっと大胆ですが考えてみました。


私は基本的に、宇宙ができたのは偶然で、私たちに日々起こることも偶然だと考えていていますが、偶然にしては美しすぎるため、偶然以外の方法で宇宙ができたのなら創造主がいると考えていました。
その創造主が何なのか?と、今回はプラトンのイデアという考えから想像して、イデア(観念)を実在に表すとしたら、創造主はイデア本体かイデアを知っている何かだと推測して、ここではイデア本体ということにしてみます。
※創造主は私たちの中の魂かも?と考えても面白いですね


宇宙は、私たちが生きる宇宙1つだけなのか、イデアから放射状にいくつもの宇宙が存在しているのかは分かりませんが、頭の中のイメージをそのまま絵画などに描き出すことが難しいように、イデア(観念)も実在として表そうとしたら、その複雑さから多少の混乱や不具合が起こるのではないでしょうか?


宇宙やその中にある地球がイデア(観念)の実在だとするならば、この地球がエラーではない限り、人の肉体もイデアを映し出すための一部だと考えられると思います。
もしかしたら、現在は過程で、問題解決の議論を続けた先に、イデアに近い世界ができるのかもしれません。


だけどイデアを実在にすることは、時間が存在し制限があり、「パイドン」にも書かれているように善には悪、美には醜、正には不正・・というように対が存在するこの宇宙(地球)では難しいと私は思うのです。
そして地球(実在)では、目に見える美に囚われ、善や正は見過ごされがちで、その上、美や善や正を表面上コントロールできるため、真実を捉えることが難しく惑ってしまう。


私が死後に魂としてイデアに戻ることができたなら、「イデアを実在させることはできない」と報告すると思います(報告する必要があるのなら・・ですが)。
「あの美に特化した地球で、美の実在のデータは取れたと思うので、それをバーチャルで楽しめばいいし、戻ってきた魂たちは、触れると「温もり」「愛」「優しさ」を思い出す仕組みさえあれば十分では?」と。


対(つい)等の犠牲の下にある善や美や正には本来の価値はなく、善や美や正が独立してこそ本来の姿だと私は思うので、プラトンの「魂は善などを知っている」という考えは、私には分かりませんが、向かう場所が善や美や正であってほしいと願っています。


ここ数年は、この美しく厳しい宇宙はアトラクションのような気がしていたので、「パイドン」を読んで、今までの私の思想にプラトンの思想の手を借りて膨らませ、死後への好奇心が一つ増えたのでした。

HSP2

HSP」を知ってから4年くらい経ちましたが、近ごろ解りやすいサイト「HSPとは」を見つけ、また少し考えていました。
※4年前の記事に書いた夫云々については現在状況が変わっています


こちらのサイトにある「HSP診断」で、私は高い数値が出て【強】となりますが、診断の中にある

・新たな可能性や選択肢に気付くことが得意だ

・動物や植物の状態を感知するのが得意

・常にアンテナを張っていて、周囲の人がどんな気持ちでいるか察知

 することができる

・真実が何かを見抜くのがうまく、ほかの人の欺瞞にもすぐ気付く

などの、確認できないことについては、特に思い上がらないように気を付けて、「私は自分以外のことは解らない」というスタンスを忘れずに、必要な場合は、相手に確認するようにしています。
気になって確認した時に、相手に否定されたら(たとえ強がりだと思っても)それ以上は関わらないようにして、相手の選択を尊重するようにしています。
その代わり、相談などを受けるのなら誠実に対応して、対話の中から私が想像できる範囲の選択肢をいくつか出すようにしています(対応しきれない人からは離れます)。


そして、こちらも「HSP診断」の中にあった

・ほかの人の痛みが、自分の神経の奥深くに入り込んでくる

は、他の人の痛みを感じるのではなく、「神経の奥深くに入り込んでくる」という言葉がその通りで苦笑しました。


その他の説明も読んで、HSPとは、想像力が高く独特な受け止め方をする人だと考え、私の場合は個性だと思います。
※HSPについては、4年前より解りやすいサイトがたくさんあったので、合うサイトを検索してみてください


HSPと言っても、性格などが加われば、同じ対処法にはならないと思いますが、自分を知ること線引きをすることが私の対処法です。

今関係ある人・ない人。

私が救える人・救えない人。

関わるべきか・否か。

責任を負えるか。

機械的には分類できませんが、関わるか関わらないかを選択するようにしています。


HSPについては、特性らしいし、私自身は、大変だけれど気に入ってもいて、自分の超えられない線を知ることによって、その線の中で溺れている感じかな・・泳げてはいませんが何とか生きている感じです。


たまに線が途切れている箇所を見つけては、少し足をハミ出してみたりして、痛い目に遭ったり線が広がったりしながら、私は驚くほど傷つきやすいので、心の傷を増やさないようにしつつ、用心深く足を一歩踏み出してみたりもしています。