ツインソウルについて真剣に考えるブログ

ツインソウルという概念に出会いました。情報量が多く混乱してきたのでまとめてみたいと思います。

ツインソウルからソウルメイトへ

ツインソウルの概念については
もう、1割ほど「あったらいいなぁ」と
御伽噺くらいに考えるほどになりました。


他の人のことは分かりませんが
私は、唯一無二の人に出会いたいと
心のどこかで願っているような気がします。
たぶん、寂しいとか心細いとか、生きていく不安を
唯一無二(=ツインソウル)に求めているのかもしれません。


でも、ツインソウルの概念を知り、考えたり感じたりした中で
ツインソウルという言葉で縛るのは、一番してはいけないことだと感じます。


※人それぞれ生き方があるので、あくまでも私の考え方です


そう考えると、ツインソウルではなく
ツイン?をソウルメイトと考える方が自然ではないでしょうか。


ツインソウルが何をしていようが
いわゆるランナーやチェイサーと言った状態でも
ツインソウルではなくソウルメイトだと
唯一無二の人ではなく、多数のソウルメイトの一人だと考えれば
全ての人は自由であると認められるのでは?


それは巡って、ツインソウルの概念の有無に関係なく
人と人のしあわせに繋がるのでは?・・全てが穏やかに。


ツインソウルの概念に「愛」ということがよく書かれていますが
それなら尚更、ツインソウルではなくソウルメイトと考えた方が
もっと広い愛に辿りつけるはず。
それがツインソウルの概念(理想)に近い形のような気がします。


袖振り合うも多生の縁

人との縁はすべて単なる偶然ではなく、深い因縁によって起こるものだから、どんな出会いも大切にしなければならないという仏教的な教えに基づく。

「多生」とは、六道を輪廻して何度も生まれ変わるという意味。

「多生の縁」は、前世で結ばれた因縁のこと。

「袖振り合うも他生の縁」とも書く。

「袖擦り合う(擦れ合う・触れ合う)のも多生の縁」ともいう。

とも言いますね。


共に生きるのもいいし、拘らずにソウルメイトと優しさを広げるのもいいこと。
時に心細くなることがあっても、それを選択するのなら、それが正しいと思う。
誰のせいでもなく、私の選択・・と認めること。


この数年の間に、ツイン?よりも自分に似た人を数人見つけたからかもしれません。
私に似ているけれど私よりも素晴らしいと感じる人。
私に似ているけれど私よりも粗末な人間性の人。
どちらも一歩間違えれば私や彼・彼女になる可能性がある。
ただ羨ましく思うのでも、ただ軽蔑するのでもなく
一歩違った私として観察し、何かを感じることが大切だと思っています。

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